分かれば分かるほど奥は深くなるんじゃないかという話

モネ展のチケット

今、上野の国立西洋美術館でモネ展が開催されていて、先日行ってきました。

そもそも絵を描く人ではないし、それどころか小中学校の時には美術は特に嫌いな科目の一つだったし、成績もそれに相関していました。ただ、今ではそういう大きなイベントがあるとちょこちょこ出かけていきます。

絵とかはその背景にあるものは全然わからないけど、そういう場に行って一流と言われた人たちの作品に浸るのがきっと自分にとってはいいんでしょうね。

で、次から次へと見ていく中で、

「どうしてその場所でその構図で絵を書くことを決めたんだろう?」

とか、時間とともに変わっていく描き方や対象物の変化などを見て

「どうしてそういうところに目が行くようになったんだろう?」

などという辺りが今回見ていく中での僕のテーマになりました。

想像の域を超えるものではありませんが、そもそも彼らも「絵を売っても儲けて金持ちになるんだ!」っていうモチベーションで描き始めた訳ではないと思うのです。(最後はそうかもしれないけど)

で、描いていくうちに段々と技術や感性が磨かれ、より深く高く自分の思うことを表現していきたいと思ったに違いありません。

だって、構図とか見たって、ただの田舎町の風景だったりするんですよね。その風景自体になにか主張があるようには思えませんでした。

と、ここまでが導入なわけですが、僕らの治療技術というのも同じようなものなんじゃないかと。ある程度「儲ける」ために技術を磨くというのはあるかもしれないですけど、やっぱり「治したい」が技術を磨いていく根底にあるんじゃないかと。

とすれば、絵を描く人達と同じように、やればやるほど難しさが分かるようになり、自分はまだまだだと思うようになっていくに違いありません。そしてゴールは…、きっとないです。

多分、真摯に向き合っている人ほどゴールは果てしなく遠く、そんなときにクライアントさん(患者さん)に

「治ることを保証しろ」

とか言われると、「無理だ」と思うんです。難しさが分かりすぎているんですね。そう答えるのがビジネス的にいいか悪いかはわかりませんし、クライアントさんにとっていいか悪いかもわかりませんが、それが正直な答です。

モネ展に行って思ったことと、最近良く言われる気がする「保証できるのか」という言葉と何故かシンクロしたので、書いてみました。

この記事を書いている人

走尾 潤Body Tuning Labo K7"代表 / Body Tuner
もともとは、富士通系のコンピュータメーカーでハード設計を11年くらいした。
ある時、運動選手のケアがしたくなり、脱サラ、接骨院開業。本格的にケア事業をするために、現在の自費治療院を開設。
今では、世界に挑戦するジュニアテニス選手やプロ選手。3時間を切る、比較的早い市民マラソンランナー、ダンサーや俳優などのケアサポートを行う。